気侭に壁紙サイズ写真で綴る 別館1
 
身近な出来事で盛り上がろう 2005-02開設・・お持ち帰り自由です
 


社会

1・17希望の灯り

 「1・17希望の灯り」は、震災で失われた命と、培われた人と人との
つながりを語り継ぐため、震災から5年目の2000年1月17日に作られた。
被災10市10町と全国から寄せられた種火を一つにしたガス灯で
神戸市中央区にある東遊園地内の「阪神淡路大震災・
慰霊と復興のモニュメント」敷地内で、昼夜を問わず周囲を照らしている。
ガス灯はガラスケースで覆われ、台座にはモニュメントの理念を綴った
碑文(下部に記載)が記されている。毎年1月17日には分灯され
市民ランナーなどの手によって全国に届けられている。 また、
すぐ隣には震災が原因で亡くなった人々の名前が刻まれたプレートが
壁一面に並べられた「めい想の空間」などもあり、
慰霊や追悼のために訪れる人が後を絶たない
My URL 東遊園地付近



一.一七希望の灯り
一九九五年一月一七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災
震災が奪ったもの
命 仕事 団欒(だんらん) 街並み 思い出・・・
たった一秒先が予知出来ない人間の限界・・・
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆(きずな) 仲間
この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
これが「1.17希望の灯り」。
御影石で作られた本体とガラスケース
その中で、ゆらゆらと炎が揺れている
この火は、被災地各所を巡った火種と
全国47都道府県から贈られた「支援の火」を合わせたもの
多くの人の願いが込められた、まさに「希望の灯(ひ)」なのだ



あまり思い出したくはないが貴重な写真の1枚です
生き埋めになって運良く救助され命拾いましたが
延焼しなかったことで救われた
この11年家族のことも思いなから懸命に生きて
やっと落ち着きを取り戻した気もしています
結果・燃え尽き抜け殻症候群になっているかなぁ
今まで11年間に国・県・市からの援助はゼロであった
全国から善意の義援金を均等割で数万円配られただけでした




1月16日(月)00:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理

震災の記憶マリーナー像

平成7年1月17日午前5時46分!
フラワーロード 東遊園地
神戸市庁舎隣接、赤い煉瓦の洋館が見える散歩道
ルミナリエの会場にもなるメモリアル公園
このマリーナー像が倒れて時計もその時刻で止まった
震災の記憶を永遠に忘れないために
この時計はその時を示している
この像のある東遊園地で追悼祭が行われます



1月5日(木)03:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理

2004年の輝き

2004年のルミナリエです♪
写真を撮る目的なら楽しむより苦痛が一杯「笑い」
人の混雑は言葉に表せない、片足上げると降ろせない位
歩きたくなくても押されて前に~前に移動する
その中で撮るのは大変なエネルギー消耗で苦痛だなぁ
それでなくても人混みの混雑は苦手!
カメラと三脚抱えてビルに上がったり降りたり~
今年は見て楽しむだけにするか、それとも
テレビでのんびり見て楽しもうかと又悩み迷うなぁ

昨年の日記から抜粋・・あれから10年
平成7年1月17日午前5時46分
今年で10年目の震災記念日がやってくる
自宅が全壊して生き埋めとなり生死をさまよい
運良く近所の方達に掘り起こされ救助、家族共に命拾った
そして、救助の手伝いに加わった・火の粉舞い延焼も怖かったなぁ

被害に遭わなかった方達と大きな被害と犠牲に遭った方達!
いつも繰り返し重ねていきます、いつも思うことは公共設備は
速やかに復旧されますが、個人資産を失った方達は大変です
資金力のない弱者は陰に隠れて見えませんが、大勢の方達が悩んでる
国・県・市からの援助はゼロであった、
自宅全壊の被害者には一律義捐金が、たしか14万円だったかなぁ
自宅再建特別融資も借りられない方が大半であり、
借りられる方借りなくても再建できる方のようでした、本当に弱者は救われない。

10年経過して記憶が薄くなっていく、阪神大震災の被害も表面的には
復旧できて面影も見られなくなり・・忘れかけていますが
生活基盤ですら困難な方達が大勢いらっしゃる方達を忘れてはならない
表面だけで華やかで・・本当の裏側を見て手を差し伸べていきたいものです

私の場合は年齢も当時は若くて運も良かった、自宅再建も出来た
家族全員無事でしたが、もう一度被害に遭うと再起不能は間違いない

まずは自分の命は自分で守る、最低限の対策が必要に思う
寝場所の上にモノを置かない、家具の転倒防止、
水や食料・医薬品などの備え、消化器やバケツの用意
お風呂には常に水を張っておくなど、災害時の連絡方法、、
避難先を家族で確認しておく、簡単なことが意外と出来てない
いゃ~直後はもっと細かく準備をしていましたが
年月経過と共に危機感が薄れてしまっている
10年目にして、もう一度再チェックする良いチャンスかも知れない。

自分から命を守ることで最も効果的なことは自宅の耐震化だと思う
この犠牲者の8割が建物の倒壊による窒息死だと言われている
大切な家族と財産を守るためにも耐震構造が重要となる
少なくとも1981年の新耐震基準以前の建物は耐震化の必要がある

My URL 神戸、光の都・ルミナリエ2004←★アルバムです★



10月29日(土)06:27 | トラックバック(0) | コメント(2) | 社会 | 管理

神戸ルミナリエ

もう暫くすると早いもので恒例のルミナリエが輝く日がやって来る
2003年?ラスト地点の東遊園地

震災から何年経ったんだと思い出してほしい
この光は鎮魂と希望の象徴だったと思い出して
今も震災によって苦しんでいる人や亡くなった人に
思いをはせてほしいなぁ
被災した私達にとっては美しき輝きに追悼の意もある

何も知らない人達は美しい神戸の輝きで楽しんで欲しい

阪神・淡路大震災について
(1)発生日時  平成7年1月17日(火)午前5時46分52秒
          前日は、成人の日の振替休日でした。
(2)震源地   兵庫県淡路島 北緯34.6°東経135.0°
(3)震源の深さ 14km
(4)規模    マグニチュード7.2  震度7
        震度7を記録したのは、東灘、灘、中央、兵庫、長田、須磨の6区。
          史上初めてといわれる「大都市直下型」の大地震でした。
(4)被害状況  死亡者   約5,000人    負傷者14,678人
         建物全焼  6,965件    半焼     80件
           全壊 67,421件    半壊 55,145件
(5)ライフライン   1月23日  電力復旧
         3月31日  上水道復旧
         4月 1日  JR神戸線全線開通
         4月11日  都市ガス復旧
(6)避難所   ピーク時589ケ所、236,899人(平成7年1月24日)
          学校を利用した避難所は188ケ所にのぼりました。
(7)仮設住宅  288団地、29,178戸が市内に建設されました


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10月29日(土)06:09 | トラックバック(0) | コメント(1) | 社会 | 管理


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